英語で誰にも捉われない自由を手に入れた元偏差値30の体育会系落ちこぼれのブログ

偏差値30の元落ちこぼれが、アメリカ有名大学に一発逆転。5年間の挫折を味わった凡人だからこそ分かった、本当の意味での自由を手に入れるための方程式を大公開。

#88 情報発信は世界を救う

2017/03/10


コンテンツ的自由を手に入れた後は、情報発信することが大事だと以前お話しました。

#40 本当のグローバル化って?

そして今回は、情報発信が世界を変えた瞬間をご紹介したいと思います。

 

茨木のり子という詩人をご存知ですか?

戦中・戦後の日本社会を感情的に描いた叙情詩をいくつも出した詩人です。

学校の国語教科書にも載っているほど有名な人です。

たくさんある彼女の有名作の中で「わたしが一番きれいだったとき」という詩が特に有名で、
これが今回のお話のポイントになります。

 

15歳で大東亜戦争が開戦され、そして19歳で終戦を迎え、
女性として一番輝いていたはずの時期にこうして、
戦争を生き抜くことだけを考えてきた彼女は世界に詩で訴えかけました。

 

「わたしが一番きれいだったとき」 茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

 

30代になって、彼女は10代の頃の戦時中を思い返しました。

国中が必死に軍国主義を学び、戦争に勝つためには身も心も捧げなければならなかった…

それが戦争が終わり、国中が手のひらを返すかのように
軍国主義から民主革命へと流れ込みました。

次第にずれていく時代の空気と自分自身の心。

自分の失ったものとは何か。

その思いが彼女の詩の後半に表れています。

 

女性を馬鹿にするのもいい加減にしろ。

そう彼女が叫んでいるのが聞こえるようです。

 

そしてこの詩は日本の国語教科書にも掲載され、
なんと海を超えアメリカでは反ベトナム戦争運動の中、
ピート・シーガーが When I Was Most Beautiful として曲を付けました。

彼女の心の声が国境を超えた瞬間です。

ここに情報発信の大切さが見えますよね。

 

あなたの思いが世界を変えるかもしれない。

その上で英語という共通言語は、
最大公約数的にビバレッジが大きいということです。

 

英語力でコンテンツ的自由を手に入れ、
インターネットで情報発信する。

これが本当に大切なことです。

 

もちろん英語だけではありません。

共通言語は世界を動かします。

あなたも一歩踏み出してみてください。

 

PS.

こちらがピート・シーガーの When I Was Most Beautiful になります。

歌い手の方は違いますが、茨木のり子の哀愁がうまく描写されています。

 

ざきやま

 

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